神奈川県は首都圏南部に位置し、県西部には丹沢山塊がありここを水源とする河川が県土を潤し、県の中央部から湘南地域にかけては水田地帯が広がり、東北部は畑作地帯であった。しかし、昭和30年代から県東部の横浜市や川崎市の港湾部に立地した工業地帯が拡大したが、環境問題から重工業が撤退し、電機、IC、食品等の軽工業化が進み商業やビジネス街の発展と共に人口集中した。人口の首都圏への集中は県東部から県中央部に広がり、さらに県西部の山間地を除き、住宅団地と市町村単位の内陸工業団地が誘致されたため、ほぼ県土全体に10万人から50万人の市町が鉄道、主要道に沿って拡大し、県内の人口は878万人と東京、大阪に次ぐ人口集中地域となっている。
都市の拡大に伴い農業生産地帯は住宅に浸食され、農地は農業振興地域を除き寸断され分散した。逆に、農村部が都市の中に取り込まれた状況となり、地域住民と農業との交流が自然と活発になり、沿道直売や庭先販売にとどまらず、スーパーマーケット等大型流通企業との契約生産が、地産地消の流通形態が定着してきた。
神奈川県の養豚は、庭先養豚から始まり、昭和初期から中型種(中ヨークシャー種等)がイギリスから、昭和30年代からランドレースなどの大型種がヨーロッパから先駆的な種豚家により輸入され、種豚生産が盛んとなり全国への販売拠点となった。養豚規模の拡大と共にアメリカから大型養豚のシステムが導入されるに伴い、ミートタイプ種豚の増殖とオークションによる種豚販売で大量の種豚が全国に販売された。
 |
【神奈川県内養豚場の地価評価】 |
一方、都市の食品残渣(残飯)を活用した肉豚経営は都市の豚肉需要に応じ、生産が拡大し、残飯から安価な輸入飼料の切り替えにより生産規模が拡大し、効率的な生産体制として昭和40年代には繁殖、肥育の一貫生産体制が定着した。
豚肉の輸入量の増加に伴う市場価格の低迷や、地価高騰に伴う地代の増大、周辺の都市化が迫る中での環境保全のためのコスト上昇の対応が必要となった。
県内の企業的な養豚家は県外農場の開設で規模拡大を図り収益性の確保を図ったが、家族経営を主体とする中小の養豚家は規模の拡大が不可能であり、生き残りを懸けて消費者ニーズに対応した高品質の豚肉生産による有利販売を目指した。
県内の多くの養豚家は高品質豚肉の生産技術の研鑽と地域ブランドとしてのグループ化、有利販売のための販売促進等、これまで生産主体に取り組んできた農家にとって、経験しない多くの努力を強いられている。 |