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平成20年4月号

平成20年度 死亡牛届出受付、受入について
 平成20年度の家畜保健衛生所における死亡牛(24ヶ月齢以上)の届出、受入日程を次のとおりとしましたのでお知らせします。引き続き、死亡牛BSE検査の円滑な実施へのご協力をお願いします。


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届出、受入休止日

畜産技術(養豚関係)
  検討会開催される
目指せ畜産経営の安定

 畜産情勢は飼料価格の高騰が経営の安定的な継続を大きく揺さぶっており、後継者に安心して経営を引き継ぐことが危惧されている。このような中で今回、日常の経営技術の向上とあわせ、円滑に事業を引き継ぐ為の講演会が三月十二日(水)に海老名市文化会館で開催された。午前中は畜産技術センターの研究成果を中心に五題の発表があった。
豚胚の外科的移植はすでに確立しているが現場での普及が困難であったことから今回フイールドで実用化に有効な子宮内注入器が開発され、高受胎率・多産子数が期待される。
超微細高密度オゾン水の応用では豚舎内落下細菌数や豚体表細菌数の


減少に効果があり、千倍希釈の逆性石けんと同程度の殺菌効果が確認され、今後衛生環境改善に期待できる
 このほか、豚舎汚水からの肥料成分回収技術の取り組み、系統豚「カ


ナガワヨーク・ユメカナエル」の現状、更には養豚協会青年部の活動に対する支援についての現状などが発表された
 午後はアグロ・サポート代表、農業経営コンサルタント志渡和男氏による「畜産経営の事業継承」と題する講演があり、長い畜産現場における経験からの円滑な事業の引継の仕方についてわかりやすく説明があった。この他、横浜農協はまぽーく出荷組合会長鈴木孝利氏の「時代のエースはまぽーく」と題する講演があった。なお、これについては本誌の裏面技術情報に内容が詳細に記載されておりますので参考にしてください。       (経営指導部)


 
死亡家畜処理対策補助
事業(県単)が終了

 昭和五十八年度から続いていた死亡家畜処理対策補助事業(県単)が平成十九年度で終了しました。


 この事業は、神奈川県が畜産経営上、必然的に発生する死亡家畜(牛および豚)の適正な処理を推進し、死亡家畜に起因する環境汚染を防止することにより、畜産経営の安定に資することを目的に適正処理された死亡家畜の所有者に一定額の補助金を支払うもので、神奈川県畜産会が窓口となっていました。
 県は、死亡家畜の適正処理について畜産農家の理解が得られ、化製処理への道筋が出来たことから、本事業の初期の目的が達成されたと判断、事業を終了しました。これにより、平成二十年度の死亡家畜に対する補助は、死亡牛緊急検査処理円滑化推進事業(国)で二十四ヶ月齢以上の死亡牛に対する補助のみとなります。
『法令を遵守し、死亡家畜の処理を適正に行い、環境汚染を防止しましょう。』
         (家畜衛生部)


 
県人事異動(順不同)
      四月一日付

◎畜産課
▽副課長(外語短期大学事務局教務学生課長)佐藤清
▽課長代理(湘南C地域農政推進課長)石田聡
▽管理・畜政班技幹(安全管理班技幹)太田和彦
▽同技師(湘南家保技師)横澤こころ
▽畜産振興班副技幹(病鑑専門家畜病性鑑定員)英俊征
▽畜産環境班技幹(県央家保専門家畜指導員)高尾健太郎
▽安全管理班技幹(湘南家保技幹)亀井勝浩
▽同副技幹(畜技C主任研究員)小嶋信雄
◎畜産技術センター
▽副所長(消費生活課長)鈴木次良
▽管理課長(体育センター管理課長)正井晴基
▽管理課副主幹(こども医療センター副主幹)古屋宏導
▽企画経営部長兼畜産工学部長(財政課技幹)青木稔
▽畜産工学部主任研究員(畜産課主


査)西田浩司
▽普及指導部技幹(かながわ農業アカデミー技幹)二見雅夫
◎家畜保健衛生所・家畜病性鑑定所
▽東部家保技師(新採用)石川梓
▽湘南家保技幹(県北C副技幹)矢島純夫
▽同副主幹(足柄上教育事務所主査)坂上圭子
▽同専門家畜指導員(同主査)仲澤浩江
▽同技師(新採用)高山環
▽県央家保所長(病鑑所長)安藤正樹
▽同副主幹(相模川総合整備事務所副主幹)石川英生
▽同専門家畜指導員(畜産課副技幹)荒木尚登
▽同技師(農林水産省動物検疫所北海道出張所【割愛】)河本亮一
▽同技師(新採用)高田陽
▽足柄家保次長(畜産課技幹)吉田昌司
▽病鑑所長(畜産課課長代理)稲垣靖子
▽同専門家畜病性鑑定員(東部家保専門家畜指導員)荒井眞弓
◎大野山乳牛育成牧場
▽場長(畜技C企画経営部長)前田卓也
▽主任技師(湘南C主任技師)白石葉子
◎地域県政総合センター
▽県央C地域農政推進第一課副技幹(畜産課主査)小菅知之
▽県央C地域農政推進第一課主査(足柄家保主査)後藤佐知子
▽湘南C地域農政推進課長(畜産課技幹)荒井信行
▽同主査(畜産課主査)折原惟子
▽西湘C地域農政推進課主査(県央家保主査)川端光宏
◎その他
▽教育局企画調整課専任主幹兼平塚農業高校事務長(畜産課副課長)柴田晃彦
▽相模原土木事務所副所長(畜技C副所長)中津川悟
▽逗葉高校副主幹(畜技C副主幹)江並政則
▽山北高校副主幹(湘南家保副主幹)平田啓子
▽神奈川総合産業高校主査(県央家保主査)一条寛子
▽かながわ農業アカデミー主査(畜

産技術C主査)佐藤剛志
▽財政課(神奈川県川崎競馬組合派遣)技幹(湘南家保専門家畜指導員)沖村朋彦
▽農林水産省動物検疫所【割愛】(県央家保主査)山本和明
◎退職者(三月三十一日付け)
▽植田光雄(県央家保所長)
▽川西隆智(大野山乳牛育成牧場長)
▽小林元昭(西湘C課長補佐)
▽小松ア曹光(足柄家保次長)
▽成井淑昭(横浜川崎地区農政事務所長)
▽町田建一(横須賀三浦C課長補佐)
▽山本美佳(湘南家保技師)



大原の月

  貴州茅台体内巡
  酔余漫歩行沢道
  詩推吾忘冷扮辺
  春宵満月柳枝眠

 この漢詩は、中国の農業視察に山西省の大原に行った時に作詩した私の漢詩である。
 大原駅から直線に七六メートルの大通りを六キロばかり南に下ると黄河の支流であるふん(冫に分)河大橋に突き当たる。両岸には柳の大木が生い茂り折から昇った満月に照らされるまで眠っている光景だった。
 二年後にまた中国旅行した折りに河南省の開封を訪れた時に中国でも六大古都と云う相国時を見学したがここはもと建国寺と云って、解放が東京と呼ばれた頃に建てられた古い寺で、若い坊さんが観光客に中日友交とか、中日友誼と書いて売ってい


たので通訳に頼んだところ若い坊さんにはこれが読めず遂には大僧正の選三法師が読めたので中国では十人の書道家のうちに数えられる法師に書いてもらった世界でたった一本の掛け軸である。
 中国では漢字を簡略化したので今の若い坊さんには読めないのだ。
 これまでも世界各国を旅行したが一番親しめる国と云うが私には中国が一番安心して旅行する事が出来る国である。
 戦中六ヵ年をこの国で過ごしたからかも知れないが、気候も余り違わないし、文字も見当をつけて読めば判るし、食べ物もだいたい同じなので安心して各地を視察して歩けるからである。
 戦中六ヶ年を北支から中支の戦場で戦い、中国にはだいぶ迷惑をかけてしまって申し訳なく思っているが、京漢駅で八路軍の攻撃から小さい駅分哨を守り、部下六名と共に北京から南下すること五七五キロ地点の分哨長として鉄路八キロの距離と、その付近の愛護村二十数ヶ村の広大な地域を守っていた頃の二十三才頃の時代が無性に懐かしい。今でも愛護村の村長達が記念に贈ってくれた、不惜身命と書かれた真っ赤な布は家宝として大切に床の間に飾ってある。
             (Q)


 畜産大賞

【地域畜産振興部門】
  特別賞受賞
「時代のエース
    はまぽーく」

横浜農業協同組合
食品循環型はまぽーく出荷グループ

●地域の概況
 昭和四十年代に入り日本経済が高度経済成長期に発展するとともに、横浜市内の畜産状況も大きく変貌し、畜産の形態も家族経営から企業


的経営に移行し始めた。
 この中でも横浜市は都市近郊にあるため、都市から発生する厨芥物の利用が積極的に試みられ、酪農部門ではトウフ粕やビール粕等、また養豚部門では食品残さを利用した「残飯養豚」を定着させた。一方、養鶏部門では海外からの航海船で輸送されてきた輸入飼料の港湾荷受で発生する副産物を安価で入手する例が多くなった。
 昭和五十年代は都市化の進展に伴い畜産環境等の問題発生から畜産の危機が叫ばれ、中には経営基盤を県外に求める農家も現れた。この現象

は昭和六十年代以降も続いた。この時期は畜産環境に対する基準が一段と厳しくなり、継続を希望するものは施設整備と畜産環境対策に充分に配慮しなければならなくなった。また後継者も減少し始め、経営を継続するものと、継続しないものと色分けが明確となり、平成に入ると畜産農家戸数も最盛期であった昭和四十年代の約30%まで減少した。過去四十年間の間、都市の第大開発や畜産施設周辺の宅地化が進み各畜種共に減少してきた。(図‐1
 近年においては戸数及び頭数とも横ばい傾向にあり、肉用牛肥育及び

養豚部門では従来から引き継いだ都市から発生する食品残さ物を有効に利用した企業的経営を確立している。また、養豚部門は直売を中心とした家族経営と企業的経営の二極分化し、いずれも大都市圏に近い有利販売を取り入れた経営タイプに変貌している。
 横浜市の農業産出額は一〇一億円で神奈川県内一位、畜産は一二・七億円で、農産物の構成比割合で七・四%を占め、主要農産物に入っています。(図‐2
●はまぽーくの誕生
 「はまぽーく」は平成十一年度に食品循環資源飼料化研究会として発足、横浜市のゴミ減量・リサイクル事業として検討が始まる。
 平成十三年度から平成十五年度にかけては市内小学校の給食の調理くずや残り物などを民間施設で飼料化し、養豚農家での給与・飼育試験を実施(十三年:三農家、十四年:五農家、十五年:八農家が参加)。
 平成十六年度には横浜市の事業が終了し、以降は関係者主体となった事業として実施し、はまぽーく出荷グループを設立(十一農家が参加)。「はまぽーく」として市場出荷を開始した。
 平成十七年度〜平成十九年度には各種イベントへの参加、小学校・消費者との交流会実施等により普及・PR活動を展開している。
 「はまぽーく」の定義としては、《食肉循環資源(学校給食・事業系食品等)から出来た飼料と配合飼料(小麦・とうもろこし等)を混合給与し、横浜市内の生産者が育てた健康な豚で、日本食肉格付協会の評価を得た、肉質良好な豚肉》としている。
●養豚を核とした食品リサイクル  小学校や事業所の食品残さを収集業者により保冷車で回収し、民間の飼料化リサイクル施設で高温処理されたものが生産農場に配送され、混合飼料として給与された豚が出荷され、「はまぽーく」として認定を受けた豚肉は、主に小学校の独自献立やレストラン、生肉店で取り扱われている。(図‐3)
●生産費コスト削減
 食品循環飼料を利用した際の生産費コストの削減効果については、配

合飼料費s当たり約四十三円に対して、循環型飼料は焼く半額で利用できており、現在、はまぽーく出荷グループでは試験データにより肉質に影響のないとされた肥育豚三〇kg〜六〇kgまで配合飼料と循環型飼料を混合給与することにより、肉豚一頭当りの生産費では配合飼料に二〇%混合給与で約二、五八〇円の削減効果がある。ある生産グループ農場では年間約二百三十万円程度の生産費削減効果となっている。
●グループ出荷豚の上物率
 「はまぽーく」の出荷先は横浜食肉市場で食肉業者によるセリで販売

されている。近年、選抜を厳しくしていることもあり、年々上物率も向上し、農場間で差はあるものの、横浜食肉市場平均単価より一〇円〜三〇円高く取引されている。(図‐4・図‐5
●グループ活動
 はまぽーく出荷グループの活動としては、生産者の肉質勉強会をはじめ、消費者や学校関係者、また流通及び販売関係者等の幅広い交流として生産農場の見学だけでなく、市内小学校への出前食育授業や母親への食育理解のための料理教室など年間を通じて行っている。

 普及、PR活動としてはHPの開設や各種イベントへの参加をを積極的に行っている。
●消費者の心をつかむ
 「はまぽーく」が消費者に理解されたことには以下の点が挙げられますが、何よりも行政をはじめ多くの協力者と時代の追い風(食品リサイクル・食育・地産地消)が大きな力となっている。(図‐6
  (管理獣医師 紺野君子)



 神奈川畜産情報愛読者の皆様「こんにちは」。平成二十年四月一日付けの神奈川県人事異動で大野山乳牛育成牧場の場長になりました前田と申します。前任の川西前場長から「大野山たより」の担当を引き継ぎました。なにぶんにも筆無精な私ではありますが、川西前場長に「次号からは新しい牧場長がこのコラムを皆様にお届けします」と書かれてしまっては逃げるに逃げられず、これも皆様に大野山乳牛育成牧場を知っていただく良い機会ととらえ、今後も牛の状態や日常の出来事、また、日々変化する大野山の四季などをお伝えできればと考えておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 毎日、新緑とおいしい空気に優しく包まれ、今年入牧し、舎飼い中の五十五頭(四月二日に五十一頭。四月十一日に四頭。次回は六月上旬に入牧予定)の牛の顔つきやお尻を観察したり、餌の食いっぷりやお腹が一杯になり座り込んで反芻している姿を眺めながら過ごしております。入牧当初は、給与した乾草を積極的に食いにくる牛が少なく、呼んでも興味がないのか離れた所から眺めていた牛達も、二週間もすると大野山の生活に慣れ、朝、人間の顔を見るなり餌を欲しがって集まってくるなど積極性が出てきました。しかし、入牧時から食が細かった牛は二週間たった今も食が細く、餌に食いついてもすぐに満足し飼槽の前から離れてしまいます。入牧時、肋が張り腹がよくできていた牛は食が太く、最初から最後まで食べ続けており、その食べっぷりには驚くばかりです。
 牛の大きさは「生後四ヶ月齢までの育て方で決まる」とよく言われますが、入牧した牛達の食いっぷりを見ていると育成前期での飼養管理の重要性がよくわかります。
 この牛達も、五月に入ると馴致放牧の後、いよいよ昼夜放牧となり、


青空の下、青草と戯れる姿が見られることと思います。是非、見に来てやってください。お待ちしております。
 また、十九年度に入牧した牛達はすっかり貫禄がつき、四月下旬、五月下旬と順次皆様の所へ戻っていきます。待っていてください。 大野山乳牛育成牧場に大切な後継牛を預けてくださっている酪農家の皆様の期待に応えることができるよう職員一同頑張ってまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
    (大野山乳牛育成牧場長)